八高古墳

御剱探訪シリーズ ③

 瑞穂台地には知られているだけで二十基ほどの古墳があります。南北の瑞穂通を境として東西に分けることができます。
私たちの高田村は西部に属し、北から八高古墳と少し南に下った高田古墳の二群に分けることができます。

 八高古墳は、二基の古墳からなっており、戦前の第八高等学校(現在の名市大)にあり、一基は前方後円墳で、もう一基は円墳です。
前方部を西に向けた前方後円墳であったが、学生食堂などの建設のたまに削り取られ、後円部をかなり損壊し、往時の面影は無く、正式な調査は行われていない。
正確な時期は、判定できないが、五世紀中ごろの築造と考えられている。
主体部は、粘土槨の木管直葬であったとされている。墳頂付近で土師質円筒埴輪が採集されている。また、円墳の八高2号墳は残存していて、「剣ヶ森(けんがもり)」ととも呼ばれ、現在は築山として整形され雑木林におおわれている。

 これらの古墳付近には、この時代の遺跡として、土師器、須恵器などを出土する亀城町遺跡があり、御劔小学校西側の崖面より昭和33年5月、住居址断面を発見し欠山土器(弥生末期)を採集している。また、隣接する包括層には土師器、須恵器(六世紀)があった。

 また、八高古墳が敷地にあった第八高等学校には、赤レンガの正門が南側にあったが、現在は明治村の正門として移築されており、ここでは往時を偲ぶことができない。

瑞穂区誌参照 平澤靖夫 記

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