高田古墳

御剱探訪シリーズ    ⑦  高田古墳

かって瑞穂台地の北西に当たる愛知県立女子大学(現在の瑞穂ヶ丘中学校,高蔵高等学校)の構内に高田古墳がありました。戦前は第五中学校の校庭にあった事から「五中山古墳」とも云われました。         

これらは一基の前方後円墳と四基の円墳から成っていました、前方後円墳は昭和三〇年九月に名古屋大学考古学研究室が調査したところ、旧形全長八七m、前方部幅五六m、後円部径五三m、高さ共に七m前後と推定され、周りには周湟があったとのことです。

後円部からは粘土槨(長さ五m、幅七0cm)が検出されたが、その三分の二は盗掘により失われていたそうです、残存部は被葬者の足の方とされていて.遺物は鉄剣、鉄鏃、不明鉄器片のほか、墳丘の頂部,中段からは大小の土師質円筒埴輪、形象埴輪の一部を出土し、葺石もあったそうです。封土は赤土と黒土とを交互につんで形成されていたようであり。出土品から五世紀前半の築造と推察されるとのことです。                        

高田二号墳、三号墳、四号墳、五号墳は瑞穂が丘中学校の体育館付近に二基と、正門内北側に長径一一m、短径八m、高さ一m程の築山として整備されているものが円墳に該当するものと思われ、現在はこの一基のみしかのこっておらず、往時を偲ぶ事が出来ません。

 この古墳付近の南方には北原町遺跡があり、竪穴式住居群跡や弥生土器、それに古墳時代から奈良時代におよぶ須恵器,土師器がみつかっており、これらの事から古墳時代にはかなりの規模の集落があったことが推察されます。    (瑞穂区誌参照)平澤靖夫

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