高田城

 御剱探訪シリーズ ⑧ 高田城

高田城は高田村にあり、瑞穂台地に築かれた城である。(『尾張徇行記」)によると『是ハ本田ノ内新池ノ東ニアリ・・・」「其地今為陸田」と記され。現在の御剱小学校地内(亀城町)に当たる。

城域は、東西五九間(約一〇八m)南北二八・五間(約五二m)(『尾張志』)で、平山城であつた。

(『張州府志』)では城主は村瀬乗心といい、(『尾張志』)にいう村瀬浄心と同一人物とみられる。

また高田二郎重家、秀吉に仕えた高田与ニ(『尾張徇行紀』)高田興三(『尾張志』)等高田姓の土豪がいて、城の名もこれらの土豪の姓によるものと思われる。

近世「高田村」の名もこれら土豪の姓が村名となったらしいとされている。

遺跡は現存していず、小学校の正門前の案内板が有るのみである。

 近くには大喜村に大喜東北城があり、城主は岡本久治といわれ、平山城で豊岡通の天理教会内の南にあったと推定されています。

 さらに南側(白竜町あたり)に田子城があり城主は(『尾張志』)によると新田四郎のほか田光氏、森部氏などが(『張州府志』)にあげられています。

 この当たりの城としては高田城は歴史も古く規模も大きな物であったと考えられます。

   (瑞穂区誌参照 平澤靖夫)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です